これは海癒の村創り今までの問題を中心に
あるじの独断と偏見で書かれたノンフィクション日記です。

プロジェクト日記とは

私は昭和38年生まれ岡田充弘、おやじの昭和14年生まれ。ちなみにおやじは
四国高知に会員制保養施設を経営して31年。昭和の終わり頃にきっと
リゾートブームは来るとバブル前からこの場所に健康と大自然を
キーワードに長期滞在の施設を新たに作ろうと親子2代で話してかれこれ
10数年、バブルに踊らず、なんとか軌道修正して、1997年に私も修行を
終えて帰国。
よし、リにあるような大自然の癒しの場をこの大岐の浜に創るぞ!!
まさに大自然と環境共生の村創りだ!

と会社を興したのでした。
しかし、立ち上がったはいいけれど、価値観も違えば、センスも違う、
おやじも金融筋のの方々も口をそろえて
「いやー素晴らしい眺めですね
この丘の上の8階からの景色ははきっとすごいですよ」

と初めからハワイの高層リゾートのイメージ、
もう、私が考えている
木より低く風がぬけて太陽で温かい施設のイメージ
のギャップは世代のギャップなのか!

親子2代がいかにしてこのプロジェクトに 立ち向かっていくか。
開業に向けて 今まさに四苦八苦、一難去って又一難の毎日。
「海癒 村創り日記」 

 

今までの経緯

1999年10月

『夢だけで食うていけるか!』
松山からの車で移動中これからのリゾートのあり方をおやじと激論してる中、
親父はいつもこの言葉で締めくくってしまう。畜生いつまでたっても
親は子供あつかいしやがってと思いを殺してどうすれば親父を説得できるのか
作戦をたてなくては・・・・・

2000年4月
『温泉が出たゼェ!』
そうこうしているうちに昨年出ました。温泉が!
源泉っていいなぁ 心まで温まる やはり自然の力はすごい
湯質も美人の湯、療養温泉、申し分無し。この温泉を中心に建物は低層にして
あくまで自然に溶け込んだ今までにない
新しいコンセプトのゾーンにするのじゃ!!!
と夢は限り無く膨らむのでした。

2000年8月
『よし分かったじゃあ、お前が行って来い』
夏の夜、例のごとく新しい形のこれからの施設のありかたは今までの
箱型の高層ビルじゃないんだと親父とバトルしていると、なんと親父が
『分かったその思いをお前が伝えて来い』と一言
うーん頑固親父も結構
柔軟になってきた?!

『設計会社社長に直訴』
自分の考える新しい形のリゾートの企画書をもって社長に直訴
東京虎ノ門にあるオフィス街の9階、会議室には社長を含め4名
真剣勝負「申し訳ありませんが、社長と2人で話しさせてくれませんか」
10分くらいのつもりが延々1時間、結果はいい方へ転んでいくのでした。
あたって砕けろ!!
そして、設計会社も大きくスタンスを変えてくれたのであった!やったー

2000年9月
『違うろ、なんでわからんがア』
さて私の中ではどんどんイメージは膨らんで、カタチも
クリアーになってきたのですが、今度はそれをどうやって
伝えるかということになりました。
そこでパンフレットを作ることにしたのですが
いやはやイメージ、コンセプトを伝えるということが
こんなにも難しいことだとは。
例えばこの『海癒』という言葉。これひとつとっても
それこそ伝えたいメッセージが山のようにあるのですが
どうしてもデザイナーに伝わらない。
うーんもどかしい、なーんでわからないんだ
とあせっても時は経つばかり。
一向に思い通りの絵は出てこない。
そんなイライラがつのる中
新しい年を迎えます。
 

2001年3月
『すごいこのイメージぴったりだ』
なんと悩んでいたデザインイメージ、縁故会員用のパンフはもう作ってしまったんだが
大阪出張の際高校の時の同級生に20年振りに再会、悩みを話すと石川が気軽に
『じゃあ一回作ってみようか』となんとなく頼んでいたもの
が出来上がって黄色の封筒を開けると感動、いいものはいい!
わーさすが持つべきものは友達だ!!!  ありがとう石川

      

2001年6月初旬 
『なに!また高層にせないかんやと!』
本当に困ってしまった。この段階になって
この費用では、建物を4階建てにするしか
ないと言われてしまった。確かに、
現状の仕様では坪単価が合わないといわれれば
そうかもしれない。
しかし、今まで打ち合わせてきたコンセプトは
どうなるんだ!責任者出てこい!
あ オレか。
うーむ本当に困った・・・・・・・・。
                         
               
2001年6月下旬
『ふー、とりあえず高層問題はクリアーだが・・・・』
高層化の重荷を頭に掲げながら、なんとか現実的にコンセプトに共鳴して
くれる方々を発掘するための営業活動の準備をしながらの日々

おやじの言葉の節々に感じる「現実的にある程度妥協して前に進めな、
成せるモノも出来なくなるやろが
」の姿勢で押されて設計との打ち合わせが
進んでいたんだが、考える毎に、日々悶々としてくる雲がドンドン大きくなり。
無い袖は触れないが、いい物、納得のいくものを創りたい。
「たとえ妥協しても自分の納得のいく物でない限りダメだ、岡田君が納得しとるのかね」
とホテルの大先輩に先日頂いた言葉がニョキニョキと私の
心を支配してきて、やはり宿泊棟は低層のまま何か別の案でバランスをとるべきだと
より強く感じてきたのでした。
おやじとの再度に渡るミーテイング、おやじも、「言葉だけではイメージが湧かない
一度模型を作ってくれ」と設計会社に注文。その写真が来たのが先日
おやじの第一声は「うーんイメージが違う」私はホット胸をなでおろし
設計担当者と電話で確認し、大きく安堵したのでした。が問題は片付いた訳ではなく
これから、じゃあどうするの・・・・・・・うーん問題は山積みだあー・・・・・・



2001年7月上旬
『宮崎駿のコンセプトと同じだ!!』
6月下旬に東京で設計との厳しい打ち合わせをして、本来のコンセプトを残しながら
いかに予算を効率良く分散するか、だいたいのメドが見えて来て低層化に関しては、少し
ホットしていたところ、久々に家内に撮ってもらっていたビデオ宮崎駿さんの『想い出ぽ
ろぽろ』をほのぼのと見ていて、田舎がなぜ懐かしのか、『それは人間が自然と一緒に
つくりだした風景だから田舎がなかった都会の人でも懐かしく感じる』と言うようなシーン
で、つくづく海癒のコンセプトの
懐かしくて心地いい空間つくりと、自然の
素晴らしさのメッセージ性
と、重なってより強くこの方針を打ち出すパワーをもらった
ような気になりました。
主人公のたえこちゃん、うちの嫁さんも多恵子ちゃんなのです。
いい映画ってほんと勇気づけられます。よし明日も頑張ろう!!!


2001年8月下旬
『海の力はこじゃんとすごい!!』
7月下旬に大岐の浜(現地)に入って色々な方に試泊してもらいました。
今年は水温も高く28度前後あり、夕方でも十分気持ちよく泳げました。
素もぐり大好きの私は、やはり海の中の生命力を見てほしい、
色々な生き物に触れてほしいと言う重いが強く、2泊程度で来られたお客さんはほとんどの方
が足摺観光して、四万十川見てと予定を立ててくるんですが、「今日の海は大潮できれいな浜
がいつもの3〜4倍になるんですよ。日本一の浜ですよ!」泳いだ事のない人もタイドプールで魚
みてもらってシュノーケリングに慣れたところで浮き輪にのって海に引きずり込んだ方が数十名、
初め怖がっていた50代の泳げないご婦人もコバルトスズメやチョウチョウウオに、「すごい
水族館みたい、こんなに簡単に海に触れる事ができるなんて!」
と少し興奮気味!初めて覗いた海にすぐシュノーケリングセット購入した、お母さん達!
海の景色を1日で変えてしまった台風!やっぱり海はこじゃんと奥がふかい!

大岐の浜と磯(海老の子供)








2002年11月初旬
『身・美・実・味になる料理』

先日矢野顕子さんの歌を聞いて「食べるもが〜あなたになる」というのを聞きましたが
ある意味で食べるものが全てを創ってると! 65円で健全なハンバーグが出来るわけが無く何日も
腐らない食べ物が氾濫してコンビに並んでる、おかしいと思いません?
農業って自分で作物つくれば分かりますが、おイモ1個300円くらいで売りたいですよね!
今は何にでも共通しますが、常にエリを正して基本に戻らなくてはいけない時だと感じます。
私の兄は2人とも和食の店をやってますが、基本は『身・美・実・味になる料理』
で高知と松山で頑張ってます。
海癒でも穀物本来ののパワーにこだわった
牧さんのもち麦、四穀米等
竹森ガーデンの乾燥りんご
、保存料を使わず自社で豚、牛の牧場を持ちながら加工までする
ゆうぼくの里ソウーセージ、ベーコン
そして何より
地元の新鮮で天然の魚!
そんな信頼のおける食材を提供していこう、それが一番心身共に健全になる海癒のコンセプト!





2001年11月中旬
『テロ、読めない社会情勢どうする!』
9月の予想もできないテロ事件、小泉首相のこれからの改革、最高の失業率等々
重い社会情勢の中、海癒四万十倶楽部の事業の立ち上げにも大きく重くのしかかって
きました。そんな中、秋の名月の試泊プランを含めやはり、海癒の「自然で癒される」コンセプト
を広げる為により多くの人に見て感じてもらおうと行動しております。
今ある環境を最大限に利用して体感してもらうと思い、昨年掘った温泉の有効活用!
昨年より地元の人に分けている温泉の評価は非常に高く、「腰痛が治った」「間接の痛みが
とれた」「口内炎が3日でとれた」「化粧水代わりに肌につけてツルツルになった」等ほんと?!
と私が思うくらい地元のおんちゃん、おばちゃんが言ってくれるので、真剣に調べると
ヒドロ炭酸イオンを療養温泉規定値の2倍近く含む良質の泉質でほんとの温泉ってやはり
すごい天然の力がある事
を再確認させられました。

とにかく、地道な部分でできる事をやっていきます。
開業遅れたらごめんなさい! 地に足ついたもの創っていきますので!



2002年1月中旬
『ユニバーサルデザインの新しい形の施設の事業展開を先行?!』



今まで営業しながら、やはり海癒のやってる事を一言で言うとリゾートなんだなぁと
世間の逆風を常に感じていたけど、どんなに新しい形の素晴らしい場所を創ると言っても施設が
できるまでに「第二のふるさと」つくりの賛同者を960名集めるのは現実的に至難の技。
資本金は食いつぶし、温泉掘って大きい借金もしてしまった。しかし施設ができない限り収入はゼロ!
家族は一人増えるし現実はどんどん肩に重くのしかかってくるは・・・・
そんな梗塞感の中、なんとかしなくてはと悩んでた矢先株主の先生方からのアドバイスもあり、「折角
良質の温泉もあり絶好のロケーションなんだから温泉を生かした診療所も付帯した療養施設を作ろ
う」と言う動きになり、私も急遽施設の勉強・有料老人ホーム協会の会に参加したり、各地のパンフ
レット取り寄せたり、高崎の素晴らしい施設見学させてもらったりして確信しました。
自然を中心に明るい雰囲気の施設を低料金で提供できれば、需要はすごいものがあると!
よし先行100人くらいの賛同者がいれば先にこの施設から立ち上げようと、地元幡多地区で約半分
あと都会から半分、健康な年金暮らしの方が、フロリダのように1年の内半分半分でいったりきたり
できる施設。
しかも権利は50年間3世代使える施設(有料老人ホームは15年以上は返金がない利用権だけ購入)
フロリダのディズニーワールド周辺には老人施設が多いらしいが、孫がおじいちゃん、おばあちゃんを
尋ねて、ディズニーに行くらしい、それなら海癒四万十倶楽部は自然体験を求めてやってくるぞ! 
「よっしゃ、今の時代にあった新しい形のケア付きヴィラと明るく楽しいリゾートの複合施設だ」
やはりそれは
「第二にふるさと」創りなんだ。
1月2日に降った何十年に一度の雪に新たな海癒四万十倶楽部の展開に大きく自信を感じたのです

2002年2月下旬
『色々な問題って贅沢過ぎると思うのは私だけでしょうか・・・・』
今日はなぜか無償に自然を感じたい気分です。人間って自然が絶対不可欠なんですよね
今日、お会いしたある病院の理事長が「田舎に行くと9時くらいに眠たくなるんだよね
それは
自然がくれる眠りなさいと言うパワーだと」言うような意味の事を言ってました。
すごく納得します。田舎の人はやることが無くて寝るのではなく
自然の摂理の中で
生きているから早く眠るのですね。自然に任せて生きていると色々なストレスもなく
争いも無くなるんでしょうね きっと!


しかし狂牛病や雪印問題他、この何を信じていいか分からない時代に
やはり自分の食べる
ものは自分で作る、午前中は農業に従事して自給自足し午後は仕事に出かける。

これからリストラやワークシェアリングが増え収入は落ちるんですからこれからの政府の
政策はこんな方針を出してほしいと思うのは僕だけでしょうか?
ドイツではクラインガルテンって普通に行われてるみたいですよねすでにかなり前から
きっと大都市の一極集中も緩和され日本の自給率も回復し、昔の懐かしい風景が帰って来て
温かい人間関係の中で人間らしく楽しく生きていけると思うのですが・・・・
モノはすでに十分溢れてるんだし、そんなに3年ごとに新車が必要なのか、幼稚園から塾に行かして
なんかいつも競争してるみたいな生活ってなんの為なんでしょうねえ、なんの為に働いているん
でしょうかね、より豊かに生きていくってきっとそんな事をつきとめると分かるよな気がしません?

2002年5月下旬
『太平洋を望む丘に温泉と自然に浸りながら安心して住む村つくりへのステップ』
昨年暮れにとある会社が破綻しました。それとともに海癒の立ち上げもやはり等身大の村つくりから
始めるべきだと痛感しました。自分たちで創っていく村、コンセプトの大切さ(自然との共生)
そんな思いを強くし、松山を始め、大阪、東京と回って今まで支援してくれた人に相談に行くと
「それが一番」とみんなが口を揃えて言ってくれました。
とにかく分かち合える住人を探していこう!まだまだ少数派だが潜在需要のすごい層があると!
そんなこんなで地元の株主の病院の先生が「とりあえずそこに診療所をつくろう!週一回からの
スタートでもいいから」と診療所の可能性がふくらみました。
とにかく50名前後賛同者とシンプルな自然浴療養温泉と診療所そこを原点にして進めて行こう
     私が第一住人です!

2002年9月下旬
『心地いい感動』
海の中で潜っていて感じる感動と「癒し台」で自然の風とイソビヨ(鳥)の声聞いてて感じる感動は同種のような気がする、なにか感触を越えて深く心の中まで入ってくるような心地よさってある意味絶対必要な要素だと
思います。そんな自然のパワーをよりたくさんの方に感じて感動してもらう事ができるようなメッセンジャーを目指していきたいという思いを再確認しまた。

先日ある画家の方と偶然お会いしてい言葉を頂いたんですが、「その感動に点を打つこと、意識する事がより深い感動を生んでいく」と言うような意味の言葉をもらいました。
なんでも流されてはダメ、感動を意識して自分をもっと見つめる事が成
長につながるんでしょうね・・・・
自分も海癒の方向もしっかり意識していかなくては・・・・!!!


2002年5月下旬
『とにかく海癒四万十倶楽部の自然体験しにきいや!』
おかげで色々な方が支援賛同してくれやっと本来自分の表現したい「何か懐かしい自然との共生
の村創りにまい進できる環境になってきました。
大阪千里の土佐千里で高知の良さを都会の方に知ってもらおうと言う活動に賛同していただいたり、ユニバーサルデザインの第一人者の方からもエールをもらい、少しづつ海癒の輪が広がってきて「びれっじと」言う雑誌に取り上げてもいただきました。ほんと皆さんから力をもらってます。と言ってもやはりほんとこの自然を体感し海癒周辺の自然の波長にビビットくるような、体感をしてほしいので、この夏は試泊プランに力入れてます。興味のある方は是非どしどし遊びに来てください。この夏、目標300人です。部屋数が少なくてごめんなさい。
「ま、とにか一回来てみいや海癒の自然はコジャンとすごいき!」

2003年4月中旬
『共生型の住まい方、村のありかた、ゴトンロヨン』
海癒のコンセプトにリンクする活動をしているNPO
コウハウジングさん、共生ネットワークさん他の活動は
プライバシーばかり重視してきた近代社会の住居の作り方に大きな疑問を投げかけ、むかしからの長屋住まいで縁側での雑談を始め、老人から子育てまで色々な事を助けあって行こうと言う地域の関係の再構築とでも
言うような考え方で活動しています。
海癒の村つくりにも大きくリンクしてくる部分です。
バリではほんと村の行事にすごく力を注ぐんですが、インドネシア語でゴトンロヨンと言う言葉がありますがいわゆる相互扶助の精神がとても強いんですよね、自然の素晴らしさや偉大さが、村での人の結びつきを強くしてるんですよね。




2003年4月下旬
『温泉早く作ります!土佐派の作りで!』

また、またもめました!親父はとにかく早く、安く海の見える温泉を作るといいはり松山のスーパー銭湯を創ってる設計に案を出させました、案の定案はどにでもあるような、町の銭湯、私は土佐派の建築家の低層で海は見えなくても自然を十二分に感じられ,風が抜ける温泉の主張!
「ハードに思いが入らない建物は意味が!」
とにかく日銭を稼ぐために安く合理的に作ると言い張る、今までの支援してくれている方を裏切るようなハードは絶対つくらない、となかく土佐派の創りで安く合理的につくるから!」1時間のバトル後やっと説得、昨日、親父を含め土佐派の設計の方との打ち合わせしてGW明けに具体案を詰めていきます。フー!


2003年5月中旬
『志をもって継続する事の大切さ』

今回高知福祉機器展に行ってきました。高校時代の友人の理学療法士の人達が中心に
なって患者さんの立場になってリハビリを始め自分達の仕事を充実させて行こうと
言う仕事の本質を見つめてまじめに取り組んでいる仕事の一環として
通常業者中心の売るための展示会がほとんどなのに
彼女達が中心になった手作りレベルの革命的な展示会でした。
しかし展示会は高知の中心のカルポートで大々的に盛大に行なわれました。
すでに2回目なんですがほんとスタッフの思いが伝わる
素晴らしい展示会でした。1時間ほど展示場を見ている
間にほのぼのする光景を何度も見ました
機器の使い方の分からないおばあちゃん
に後ろから何気なく手を差し伸べて
おばあちゃんと笑顔だけで
コミュニケ‐トしていたボランティアの学生さん
よその機器なのに担当者がいない時に
一生懸命説明している業者の方他

懇親会にも特別に参加させてもらいましたが、高知の熱い思いの人を
中心に東京から沖縄からみんな手弁当で応援にきてる
素晴らしい会でした。ほとんどの人が初対面なのに
なぜかすごく温かい愉しい時間を過ごせました。
そんな思いの強い人達と海癒もドンドン
リンクできるような土台を
創って行きます。

  



2003年9月初旬
『事業として?人生として!』

自分の中にも海癒のコンセプトをいかに表現していくのか
それを継続していく為に早く日銭が入るシステムを構築して
事業としても成功していかないと駄目だと内心焦ってきている
ただ、生きていく為に振り回されて何の為に生きているのか
失うよな事にはなりたくない
そんなモンモンとるす気持ちが心の奥に段々強くなっていた頃
海癒の夏の試泊が始まった
ある先輩がはじめて試泊に来てくれて
夕食の席でそんな心の迷いをグサリと指摘されました。
自分がなんとなく思っていた事を
「現実はそんなに甘くないもっと人間の幅を広げろ!」
忙しさの中にもふと自分を振り返る大きな
投げかけの言葉として今でも横たわっています。

そんな心境の中、会社的には
社長になり、秋には銀行から借り入れもお越し
来夏開業に向けて温泉施設を中心に
海癒の核になる部分を構築していく現実的な決断の山がどんどん
出てきました。40歳になり自分としても
自分を見つめながら、問いかけながら
海癒の事業ともども成長していかない限り
成功はありえないだと強く感じ始めました。

事業としても、人生としても成功したと言いきれるように!


2004年2月初旬
『海癒の目指す本物の温泉とは』

一年後の開業をめざしたシンプルだけど自然浴をコンセプトに自然空間と
源泉にこだわった
温泉施設の素案もほぼ決まりかけてた矢先
湯之谷温泉(西条)に出会い、源泉掛け流し薪で沸かしたお湯に感動して以来
これこそ海癒の目指している温泉だと感じてから3ヶ月、周りから
「何バカな事いってるのそんな事今時できるわけがない」
と口をそろえて言われつつ
湯之谷の藤田さん達にささえられながら飛び込みで
色々な銭湯の大将に話を聞いたり、廃棄物処理法の事を県庁に問い合わせたりいと、やっと薪の確保から、今ではほとんど作ってない薪の釜の原案まで
ほぼ諸問題をクリアーして
よし海癒の湯もこれでできると確信できるまでになりました。
ほとんどの温泉施設が循環式の塩素消毒づけの温泉を100%天然温泉と
うたう事のできる現状、レジオネラ菌で死者が出て以来
塩素の濃度を通常の何倍もいれて、うちは衛生管理に力入れていると
自負してる温泉の宣伝を見てほんと社会の矛盾も感じます。
まさしく「重曹泉の美人の湯」の良さと湯冷めしない
「食塩泉の熱の湯」の良さを兼ね備えた湯治に最適な療養泉を
塩素消毒などしない源泉の掛け流しの湯で
薪で沸かしたまろやかな湯をやります。手間はかかりますが
海癒のコンセプトの4〜50年前の日本の良さを生かした
生活の提案に基いて自然治癒力を十二分に
生かせる温泉施設が具現化すてきました。
コンセプトを生かした施設のデザインや資金繰り他
課題は山積みですが、とにかくコンセプトを一貫していきます。




ブログを始める前まで自分の未熟な心境を書かせてもらいました。
読んでくれてありがとうございました。